『こんな夜更けにバナナかよ』を観た
先週末は三連休で三本映画を観た。
とくだん映画好きってことはないんだけど、たまに行くとやっぱいいよねと思う。
もともと『ボヘミアン・ラプソディ』でも観ようかと思って映画館を調べたらやっていて、時間つぶしにチケットを取っただけだったが、とてもよかった。
いくつか印象的なシーンはあったけど、
序盤に、鹿野の「ぼくがわがままを言うのは、人の迷惑になるからと縮こまっている障害者に『生きるってことは迷惑をかけあうことだ』というのを伝えたいからだ」というような趣旨の、(少なくともこの時点では「何様だお前は」という印象を観客に与える)セリフがあって、私には刺さった。
傷つき傷つけることを恐れて、人と関わることが怖いと感じる場面が多く、人間関係で引いてしまうことがある。もっと変わっていきたい。
仲良くなりたい人と仲良くなれないで終わる人生はもったいない。
この映画はストーリーとしては障害者とその周りの人々を描いているけど、内容やメッセージは実際は障害は関係ないところが多い。万人に勧められる映画だと思った。
生きてます
お久しぶりです。
ずっと書いてないと思ってたら地味に5月に投稿してた。
あのころと比べると仕事のことが少しだけ分かってきましたね。
ちょっと自分で動けるようになると、
自分でやるだけやってみて、なかなか進まなくて上司に報告上げにくくてむしろ遅くなったりします。
全体としてはけっこう精神的につらいですね。
お昼ご飯は、忙しくてみたいな物理的な理由で食べられないことも多いですが、
夜に食堂に行ってみると生理的に食べ物受け付けなくて定食の主菜だけ食べて終わったりします。
自分の精神が強くない自覚はあったし、社会不適合な気質があるとも思っていたけど、毎日毎日職場から逃げ出すような気持ちで退勤して明日は行きたくないって思う。日曜の夜になると絶望して出奔したくなる。
わかるようになったといってもまだまだ全然わかってないから、土日に何を勉強しようとか思うんだけど、毎週何もしないで月曜を迎える。
休日は、部屋を暗くして布団で寝てスマホいじってるか、予定を入れて友達と会って愚痴吐き出してる。よく夜に家で一人で泣く。少数の同期と旧知の友人に一方的に依存しながらなんとか立っている。
自分にしてはよく頑張ってると思うけど、ときどき心折れて消え去りたくなる。
結構しんどさ感じてる。それも私だからつらいだけで一般に他の人なら何も感じないんだろうなあなんてことは全く思わなくて、友達も進路はいろいろだけど社会人1年生の同期達みんなよく仕事辞めないなって思う。
そういえば、就活の結果報告
ブログを忘れていて遅くなりましたが、就活終わりました。
わざわざ言わなくてもとは思うけど、このブログを訪れた人に筆者は就活失敗して人生が破滅していくんだろうなどと思われるのを避けたいので書きます。(まず単純に癪である。また、私と似た精神性の人が記事を見つけて読んで「自分も就活全敗するに違いない」と暗い気分になることを防ぎたかった。)
ありがたいことに、第一志望にもらえました。それ以外はどこにも貰えませんでした。
建前や嘘ができないので*1、いつも志望度が相手方に露見していたのかもしれない。とにもかくにも第一志望に採ってもらえてよかった。本当に。
それにしても、案外雇われないものだと思った。自分をそこそこ有能だと思っていた。大学3年では望むでもなくバイトやサークルで人の上に立つことが増えた。組織内のとりまとめも外部との付き合いもした。じっさい、会社にもおおよそ頭脳と弁舌と事務処理能力は評価されていたと思う。最終面接まで進むのは難しくなかった。*2
しかし最終が通らない。第一志望か問われてハイと答えても通らない。面接の日程を動かしてもらったことは一度もないのに、御社に内定をいただけたら他社は全て降ります(受けている会社と選考状況は全て正直に話していた)と言っているのに、落ちる。
私は幸運にも内定を一ついただけたけれど、友人には、優秀で人柄が面白く人望もあり、採らない理由がないような人物なのに、目標が高いとはいえ全部落ちてしまった人が少なくなくいて、話を知るたび驚く。
就活は向き不向きがあって、向いてる人でない人は舐めていると本当にどこにも貰えないのだと思う。私は舐めているつもりはなかったが、今は内定を取れたので評論家目線でこんな記事を書けているが、無内定と紙一重だった。
就活を通じて得た非常に重要な学びは、就職不安・雇用不安は社会を脅かすということだ。選考が終盤の5月下旬から6月上旬にかけて、持ち駒がみるみる減ってゆきどこにも就職できないのではないかという考えが強まったとき、自分で予想していなかったほど反社会的になった(一人暮らしをしており悩みを打ち明けられる人がいなかった。もっとも、家族と同居していてもこれを相談できるかは人によると思う。)。良いところに何個も内定を取っていく学生たちよりも優秀な私を拒絶するこの社会は間違っていると思った。暴力革命も願った。
冗談でもなく下の画像のような状態になった。私はいわゆる名門校に所属してきて、プライドも高く、個人的な人間関係において反目や拒絶を経験したことはあっても社会的に承認されていないと感じたことはなかった。就活で立て続けに祈られると社会に人格や人生を否定されたように感じられ、失恋や部活での挫折とは質の異なる疎外感・無力感・劣等感・自己否定感を味わった。それは自らの心で受け止めるにはあまりに突然かつ大きすぎ、社会への反発に転じていった。
フランスで極右やISが流行るのも道理だと思った。若者は人生を諦めるには目が輝きすぎている。ゆえに彼らの絶望は自殺のような内的崩壊でなく社会への反逆へうねっていく。日本には、特に年配の方に、もう経済成長なんてしなくていいじゃないと言う人がいるけど、そんなのありえない。雇用を保ち個人の経済基盤と社会的自己承認を担保する手段が経済成長しかないなら(今の世界ではおそらく他の手段はない)、絶対にそれは実現されないといけない。さもなくば先進国の生活に安住しているつもりのあなたが寝首を掻かれることになる。
就活めんどい
絶賛就活中ですが、めんどい以外の感想がありませんね。
会社に入れてもらえればそこそこ働けると思ってますが、入ることができそうにない。
3月20日頃に風邪をひいて数日寝込んだら、もう復帰するのが嫌になってしまいました。
そのときにメールをあまり見ないでいたら、気付いたら3月末から4月初めのイベントの申し込みが悉く枠が埋まってしまっていて、もう就活したくてもできない感じでこの際このままドロップアウトしちゃおっか(ドロップアウトしてどうするんだ?)とさえ思います。
他人に甘えずにしっかり勉強できるようにって個人発表とレポート課題のある小規模なゼミに入ったらOB名簿が貧弱でOB訪問に全く役に立たないしさぁ。真面目に勉強すると就活が不利になる仕組みってクソだなって感じつつもう遅い。
いろいろ馬鹿馬鹿しくて、院に行きたくなる。院試通れるんだったら初めから就活してないんだけどさ!
開設。
勉強のこと、自分のこと、何となく考えたことなどを適当に書いていこうと思います。